なぜ農をしているのか。

こんにちは。スタッフの萌子です。

2年前からビヨンドで畑のお手伝いをさせてもらうようになり
昨年から畑を任されるようになりました。

今日はなぜ私が農を初め、続けているのか、農をしてよかったこと、最近の様子について書きたいと思います。

農とは、辞書によれば:土地を耕して作物を作ること。ですが、私は元は農業には興味がありませんでした。

自分で育てた野菜なら安全で安心して食べられていいなぁ。くらいは思っていましたが

農業は大変だから、たくさん育てたりするのは嫌だなぁという気持ちのほうが強かったです。

そんな私が農をやろうと思ったのは、ビヨンドの広大なフィールドの一区画が野生化した野菜で辺り一面いっぱいの緑になっているのを目の当たりにしたからです。

代表が種を繋いで野生化したアブラナ科の野菜たち

「栽培しなくても野菜が育って、もしもフィールド中が野菜でいっぱいになったら、ご飯を食べるために無理な仕事を続けるような人や既存の社会に適合しにくい人に希望を見せられるんじゃないか。社会が変わるきっかけになるのではないか。

植物も、人間も無理なく、心地よくいられるような共存できる場所を作りたいな。」と思ったからです。

とはいえ、畑を任されましたがほとんど初心者です。任されたはいいものの

持っている知識は種をまいたら芽が出て育つらしい、ということだけです。
代表から託されたのは、くわと、ツルハシと、草だらけの広いフィールド、
それから大量の種でした。

最初は途方にくれたり本当に野菜が育つのか不安になっていましたが、それよりも好奇心が勝り、まずは本など読まず、知識を要れずに自分の感覚でやってみようと思いました。

ジャングルを1人開拓する1年ちょい前

野菜はもともとをたどればそのへんに自生していたものを誰かが見つけて種を拾って自分で蒔いて見たのが始まりなのだから、人間が作った農薬や肥料に頼らずともできるはずだ!と思い無農薬無肥料でやってみることにしました。

さっそく種を蒔きたかったのですが、草がジャングルのようになっていて、ここに蒔いても
とても野菜ができるイメージが沸かなかったので、草を刈り倒しました。


草を退けられたので種を蒔こうと土を掘ってみると、今度は大きなクズの根っこが……

根っこは放っておくと養分を吸うし、くずジャングルに戻るそう!なので何日かかけてツルハシで掘り出していきました。5分もやれば冬の寒い日でもポカポカになるほどの運動量です。2キロくらい痩せたと思います。
ようやく蒔けるようになった畑にいろいろな野菜の種を蒔きました。

蒔いた種たちは、古くて発芽しないもの、草に負けてしまうもの、虫に食われるもの、長雨で弱ってしまうもの、うっかり刈ってしまうもの、踏んでしまうもの、獣に食べられるもの、さまざまでした。

草刈が間に合わなかったり、蒔くタイミングがずれてしまったり、柵のつくりが甘かったりとミスもいろいろあったかと思います。

(失敗した畑の様子も撮っておけばよかったのですが、悲しすぎて何も撮ってませんでした。)

結構シビアな自然界を味わい落ち込んだりしつつも、さまざまな困難にも負けずそれでも元気に育ってくれた野菜たちのパワーには圧倒されました。

昨年採れた野菜たちの一部

そして今年。

昨年の失敗を生かして、温床を作って苗を作ってみたり、早くから種を蒔いたり、自然農の勉強会に参加して道具の使い方などを教わったりして、少し知識を入れました。

1年通して思ったのは、楽園を作るには自然の力を借りつつ、人間の力を尽くことが必要、と言うことです。

本当にこの土地にあっている野菜を作れたら、野菜も無理せず、人間も楽して作れるんじゃないか。

それまでは、人間が手を貸して種を繋いで適応させていけばいいんじゃないかと考えました。

私が畑に蒔いている種は、在来種や固定種といったいわゆるもともとの野生に近い野菜の種を種屋さんから購入しているものが多いのですが

それでも採取地を見ると遠い外国であることも少なくありません。栽培もクリーンな環境で肥料などを使って行われているのかもしれません。

いきなりそれらの種をビヨンドの土地に蒔いて自然に任せてワイルドに育ててたとしても

もし私が種なら、環境の変化にDNAがびっくりして本領を発揮できないまま次の世代へ種のバトンを繋ぐと思いました。

本当にこの土地に適応した元気な野菜でいっぱいにするには、何世代か種を繋いでいけばいいように感じました。

土の中には見た目ではわからないほどたくさんの数の野草の種が所狭しと眠っていて、発芽するタイミングを見計らっているというのに、昨年育ったアマランサスや、紫蘇、ビヨンドで何年も種をつないでいるニンジン、ゴボウ、菜っ葉などからこぼれた種は、ぐんぐんと伸びてとても立派に育ちます。種を買ってきて丁寧に栽培している野菜たちよりもずっとしっかりしています。

この土地にこぼれた種は、然るべきタイミングで芽を出します。そして生命力を発揮してくれるのでしょう。

そうなるまでは、野菜を出荷することよりも、種をつなぐことを目的のひとつにして、日々畑を見ています。

気候条件や適した土の質などによって、どうしても手をかけないと育つのが難しいものもあるかと思いますが

チャレンジしてみたいです。

楽して楽園には成らず。

畑をやる前の楽観的な私はいろいろな自然に直面して衝撃を受けました。概念の破壊と再生の連続です。

畑をやる前の私:種を蒔けば芽が出る! 1年後の私出ません!!

畑をやる前の私:草は根っこを引っこ抜けばもう生えてこない! 1年後の私次から次へと生えてきます!

畑をやる前の私:芽が出たら後はぐんぐん育つ!    1年後の私育ちません!いつの間にか虫がきれいに食べたり、消えたり、病気になったりします!

畑をやる前の私:自然農法だから、虫も動物も敵としない。みんななかよし!

1年後の私大事に育ててる野菜食べたの誰やねん!許せん!!!

自然と共生しようと思ったのに、いざ大切に育ててきた野菜を食べられてみると憎しみの気持ちが湧いてきて、平和な気持ちでいられなくなったりしました

桃の収穫

いろんな野菜を、誰でも(動物にも)いつでも気持ちよく「どうぞ」と言って食べさせてあげられる。

そんな楽園のような畑にするのが目標なのに。

楽園を作るのに一番大切なこと

楽しんでいること。

たくさん野菜が採れても、たくさん花が咲いても、心が楽しくなかったら意味ないです。

いつか全てが過程になって懐かしく思う時がくるんだろうな。その時どんな景色なんだろう、と思うと気持ちが切り替わります。

楽して楽園には成らないけれど楽を大切にしよう。

荒ぶったときは思い返して心を改めます。

楽しく畝作りの図(やりすぎて腰を痛めます)

野菜や草木を育てていると、嫌でもしょっちゅう土に触ります。
嫌でもといったけれど、これが、あまり嫌にはなりません。
土が身近にある生活はなんともいえない心地よさがあります。

休みの日でも畑でボーっとしたり、観察をしています。
気持ちよくて心安らぐ時間です。

野生化した菜の花たち

農的な暮らしを続けてみて予想もしていなかった良かったことがあります。

自分の体は自分以外の命からできている、命の循環によって生かされている、ということを頭ではなくて

心から体感できたことです。

具体的にどういうことかというと

まず畑にいると、土の中でも土の上でもたくさんの生き物と出会います。

生きているものもたくさん見ますが、死んでいるものもあります。土に分解されかけているような状態も見ます。そして、生まれてこようとするものも見ます。

草とり中に見つけた金ぴかの虫。(ジンガサハムシ)自然の生み出す造形はほんとにびっくりする。

小さくても、命が生まれて生きて死んでいく、そんな命の循環のあるのがこの畑の土です。

この土の上で種を降ろし、根を張って芽生えて実をつける野菜があります。

それが口に入り、体の中で働くたくさんのたくさんの微生物たちによってウンチになります。

ウンチは家のトイレで時間を経て、土の微生物の働きでまた土に返っていき、またその土にこぼれた種から芽生え、茂っていきます。

作りかけのコンポストトイレ2号

命の循環を肌で感じてみると、今自分やみんなが生きていることって本当にすごいことだなぁって気持ちになります。

人間が生きるのも他の動物や植物が生きるのもみんな、広い広い宇宙の中の小さな星の自然の循環の一瞬である。

そう思うといろいろなことが愛しく大切に感じられるので好きです。

芽吹き

私は高校生のときから引きこもり気味になり、うつ病やごはんがうまく食べられない病気、足の病気になったりしまして10代後半から20代半ばまでろくに働くこともできませんでした。

息をしていることに無意味さや無価値感を感じながら暮らす時間がしばらく続きましたが、それが今は

畑で蒔いた種から収穫できた野菜を手にとるたびに、生きていてよかった、と嬉しくなりますから本当に人生は不思議です。

私が農をやっているのは、生きてて良かった!の瞬間をこれからも積み重ねていきたいからかもしれません。

農に出会えて幸せでした。

ここまで読んでくださってありがとうございました。

それではまた!

レタスの種って綿毛で飛んでくのです

※たくさん感動を伝えたくてたくさん画像を載せてしまいました。

見づらかったらごめんなさい。