共に楽園を創ろう!

何気ない光景なんだけど

4月29日のイベント「流しそうめん&筏づくり」終了後、静岡に戻ってきました。 みんな、そうめんを待っている模様。 室田さん佐藤さんと作った竹炭でBBQ~、個人的には今度七輪で干物を・・・(・∀・)ニヤニヤ 充実した1日を送ることができました!   6月中旬には、静岡のアパート引き払ってビヨンドの古民家で住みながら活動に専念します!大学は?とよく聞かれるんですが、授業がゼミだけで卒論しかないし、しかもゼミの先生は「やりたいことあるなら、そっち優先してくれていいよ」と生徒のやりたいこと、自由を確保してくださる先生なんで、お言葉に甘えてます。笑   それで話はですね、最近あった光景を見て感じたことをシェアしたいなと思います。   つい最近、買い物に行こうと思って家出て道路歩いてたんですね、お昼くらい。 前に1台のトラックが端に止まってて、それは宅急便のトラックだった。 その運ちゃんがコンビニ弁当食べてたんです・・・   その姿見て、寂しくなった。お昼くらい車じゃなくて会社で食べようよ…って。この光景、全然珍しくないと思うんです。その運ちゃんにとっては、普通かもしれないし全然寂しくないかもしれない。「仕事だから仕方ない」って思えるかもしれない。でも、これが毎日当たり前です。っていうなら、悲しい。テレビのCMとかでは、生き生きはきはきした運ちゃんが荷物届けてくれてるけど、「ひとりでトラックの中でコンビニ弁当食べてます」っていう姿見ちゃうと、あのCMは美化されている気がする。実際の姿が隠されているような。 でもそうやって、お昼でもお勤めしてくださる人がいるから、日本社会は廻ってるわけで、日本全国に荷物が届くわけで、感謝の気持ちを改めて持てた。でもどこかまだ納得できない。   このわたしの考えはただの個人的な意見に過ぎないですけど。 働くってなんなんでしょうね。ただ生きてるだけじゃいけないんですかね。 ボケーっと、海で黄昏る・・・(これは和歌山です)   最近、哲学的な思考になってきた・・・汗  

よく考えたら、深い問い

ビヨンドでの生活も、慣れたようで、まだなんか慣れない。なんか、まだぎこちない。笑 ある日の作業で、室田さんが2年ほど前に研修生だった大学生の男の子の話をしてくれた。幼稚園の頃に、大好きなおばあちゃん?を亡くしたときから、彼は「人は結局死ぬのに、どうして生きているんだろう」っていう問いが生まれたらしい。幼稚園児から哲学的な問いに気づくなんて・・・ その時種まきしてたけど、その話を聞いてから、もう作業どころじゃなかった。「確かに・・・人は最後死んでしまう。わたしはなんでここに”存在”してるんだろう」って頭の中で繰り返されていた。めっちゃ考えたい!!!って。あの時の感覚は今でも覚えてる。     わたしはどうして生まれたのか? 毎日一生懸命に大切に生きろ、って言うけど何のため?幸せになるため?後悔しないため? わたしにとって幸せって、ただお日様の下で小鳥のさえずりや、川のせせらぎを聴いて、そよ風を感じられればそれだけで満足なんだけど? でもそれだけじゃ、ダメみたい。 どうして? 日本国民は、働く義務がある。 なんのために働くの?月々の支払いのため、将来国に面倒を見てもらうための税を納めるため、経済的安定のため? お金の持つ働きってなんだ?お金はたくさんあればいい? 今ある自分の名声や肩書を外したら、いったい自分に何が残ってるの・・・・?     と、まあこんな問いがいくつも出てくるわけです。 文字化したくても、できない。頭の中の思考に手が追い付けないというか、考えれば考えるほど、訳が分からない。 ビヨンドに来てなかったら、こんなこと考えてなかったと思う。 カナダに留学した時から、世界一周、帰国後と、たくさん自分と向き合ってきたけど、今私の中で究極な問いが生まれている。   “何のためにわたしは生きているのか?”   この問いに正解も間違いもないと思うけど、もし自分にスーッと共感・納得できるようなことがあれば、生きることがもっと楽しくなる。   そんな気がする。        

ポカっと穴が。

ビヨンドから静岡に帰ってきて、虚しさというか、寂しさというか、心にポカって穴が開いてる気がする。 なんでかな?って考えてみたら、いくつか挙がってきた。 1つは、「常識」とか「こうしなきゃ」とか「すべき」とか「当たり前」に溢れてる。わたし今年で大学4年生になったんですけど、それを周りに言うと「就活じゃん、どんな仕事に就きたいの?」「実家で探すの?静岡で探すの?」って質問攻めされる。「大学4年生=就活」が世間では当たり前なんですよね。大学のガイダンスでも、「4年生は就活頑張らなきゃいけない」とか「資格は就職に有利」とか先生方が言うから、はぁ・・・って呆れちゃうし、たまに不安になったり。 2つ目は、評価や判断する、されること。大学の成績優秀者とか、バイト先の売上とか。「なんでも高い方がいい、多い方がいい」って思われて評価される。バイトでその日金曜日だったんですけど、忙しすぎてこっち(調理場やホール)機能してないのに、売上げ少しでも伸ばそうとしてお客さんドンドン入れて、あとの片づけはバイトに丸投げする。という。結局売上が良ければ従業員のことはどうでもええんか?評価されればそれでええんか?と。 世の中にいいも悪いもないし、勝手なものさしで決めないで~~~って思いつつ、わたしも知らない内に判断、ジャッジ、評価しちゃってるのかな・・・ 最後は物が溢れすぎてること。明野はスーパー行くのも自転車で20分(帰りは50分ww)で、そんな滅多に行かなかったし、あるもので何とかしようとしてた。電化製品とか日用品とか、物が無いなら無いなりに楽しんでた。でも静岡戻ったら、物があって当たり前。洗濯機もガスコンロもキッチンもある。コンビニやスーパーやおしゃれな店や洋服屋も。「流行」「新発売」「新商品」とかよく見るけど、それを買ったとしても心の内側は満たされない。「物は幸せにはしてくれない」ってよく言うし聞くけど、それを実感した。タイでのファームステイや明野での生活の方がわたしにはしっくりきたし、楽しかったし、充実してた。 ビヨンドから静岡に戻って感じたことです。 「わたしの幸せ」を見つけよう~~~。   就活のエピソード・・・ 1週間ほど前にお友だちと話した時に、「3/1に大学4年生がスーツ着て、何十枚もの履歴書書いて、合同説明会行って・・・っていうのを日本では就活って言うじゃん?でも、就活って“就職するための活動”なわけだから、教師や看護師や薬剤師目指す人は、大学入った時点から就活なんだよ。日本で言う”就活”に囚われちゃいけないよ」って言われて、なんか就活の概念?が払拭された。ビヨンドでの活動は自分と向き合える時間だし、ビヨンドで得たものは将来につながる活動だし、結局わたしも就活してんじゃん!!!みたいな。笑 来週またビヨンドに行くので、どんな出会いや気づきがあるのか、楽しみです!

星空キッチン

ビヨンドに来ました。午後にじゃがいもを植えるため、午前中にじゃがいもと、あと料理するためのガスコンロと、小屋作りに必要なその他諸々を購入。午後は畑でじゃがいもを植えました。じゃがいもかなり植えたけど、それでも生き残るのはほんの少し。農薬とか肥料とか使わないから、全部が全部育つわけじゃないんだな~。植えてる途中でネギの苗発見、すごい小さかった。見つけるのが大変でした~。他の雑草に負けずに育ってほしい! じゃがいも植えを終えたところで今日の活動は終了。 以前、ビヨンドにいた大学生が置いていった自転車を室田さんから頂いたので、(ほんとに感謝)韮崎の街まで買い物がてら自転車でゴー。行きは下りが多かったから、20分位で街まで着いたけど、帰りほとんど坂だったから50分ほどかかって帰宅。途中明かりないし、家探すのにグーグルマップ使うっていうね。(笑) そして、夜ご飯は時計型ストーブで星空キッチン!!!(通称)マッチの火がなかなか付かなくて、でも昼間に室田さんが「ティッシュに着けたらブワーって燃えるよ」って言ってたのを思い出し・・・ティッシュ投入。着火成功!焼きそば作りました~。 でもこの星空キッチン、一人で使うものではないね。火加減見たり、材料とか持ってきたり、調理したり。一人はなかなか忙しかった。でも火あったかいし、焼きそば常にあったかいし、星いっぱいだし、楽しかったです。またやる!誰か一緒にいるときに!(笑)

ご挨拶

始めて書きます!さとこです!大学4年です!(今年の4月から) 3月の後半からビヨンド自然塾で活動します! ビヨンドを知ったきっかけは、大学のゼミの研究室にビヨンド自然塾のチラシが置いてあったんです。 「農業体験」「自然体験」「瞑想」「内観」・・・ こんなキーワードが並んでいて、そしてこの文章 「心を開放し、素直に生きるヒントを伝える」 ピーンって来ました。ここ行かなきゃ~って。   わたしは大学を2年休学していて、1年目はカナダに。2年目は世界一周の旅をしていました。カナダの小さい島に半年ほど生活してたんですけど、そこで今までのわたしの価値観や、常識が180度変わったんです。そこの人たちは、毎日ゆっくりそれぞれの時間を過ごしていて、人との繫がりを大切にしていました。誰かの名前を言えば、「あ~あの人か」ってわかったり、お店とかでも、「調子はどう?」とか言ってそのまま世間話に走ったり、島ではヒッチハイクが主流だし。公園でもギターやピアノ弾いたり、踊ったり、本読んだり。服装とか体型とかも気にしてないというか、そのままの自分を受け入れてるように見えました。 日本だと「流行」とか「痩せてる方がいい」「周りがこうしているからわたしも」とか、自分の意志よりも他人からどう見られているかっていうのがあって、でもこの島は違っていて(この島だけではないと思うけど)、「自分」をもっていたですね。大切なのは、周りがどうこうじゃなくて、「自分がどうしたいのかだよ」と言うのをこの島で学んで、「自由」でした。   この島に日本人もいて、たくさんお話ししました。「自分に素直に生きていいんだよ」「自分の人生だから、他人の指図受けなくていいんだよ」「好きなことしなよ!」って教えてくれました。それで立ち止まることができたんです。今のままでいいのかな?自分の好きなことできてるのかな?って。自分と向き合ってみて、日本にいた自分は周りを気にして、周りに合わせて流されて生きていたって気づいたんです。だからすごく生きにくかった!でも、「素直に生きていい」って自覚できたらすごく楽になって、開放的になったんです。「自分」が持てるようになった。   それで、学生の時にできることは何かな、このまま日本に帰って復学して就活して就職して・・っていうルートもなんかなー・・・って思ってしまって。そのときの自分は、日本に収まりたくない!世界に飛び出したい、いろんな景色を見たい!って言うのが強くて、休学2年目に世界一周決意しちゃったんです。   世界各地回って、たくさんの日本人や現地の人と出会って、生き方っていろいろあるんだなーって思いました。大切なのは、お金とか名声とか肩書きとかじゃなくて、その人自身が毎日を楽しく生きているかであって、いろんな生き方があっていいんだな感じました。 社会人辞めて、4年近く世界回っている人。高卒で働いて辞めて、3ヶ月ブラジルで過ごしてポルトガル語ぺらぺらっていう人。青年海外協力隊の方。現地の人と結婚して宿経営している人・・・良い大学行って、良い企業に就職して、結婚して、家庭を持つ・・・っていうのが理想の人生とか日本では考えられてるけど、全然そうじゃない!人それぞれ自分のペースや道があって良いはず。 だけど日本では、みんなと同じじゃなきゃ、合わせなきゃって言うのが強い。特に感じるのは、大学4年生は就活して当たり前、内定がもらえないとこの先生きていけないムードがありすぎる!みんなと同じ髪型・メイクで、服装もお辞儀の仕方も決まっていて、「素」の自分じゃなくて、「良い子」を演じている自分をイメージできなくて。そんな自分いやだ!もっと自由に自分のやりたいことをしたいなって強く思うようになりました。働いたとしても、ノルマだの業績だの利益や売り上げ目的みたいなそういうのはしたくなくて、利益や売り上げとかいうお金重視じゃなくて、社会・人のためになる活動や仕事がしたいと思いました。それで、自分の好きなことや場所、嫌いなことや場所をダーって並べて自分と向き合って、あれこれもがいてたら、前述したようにビヨンドのチラシを見つけたんです。   わたしの卒論が「お金に依存しない自由な生き方」をテーマとしていて、カナダでの生活や旅で実感した「幸せはお金じゃない」とか、「いろいろな生き方の発信」をメインにしたくて。一回ビヨンドに行って、室田さんとお話しするうちにビヨンドで一緒に活動するのもいいなと思いました。ここなら卒論も書けるし、自然や人とのつながりを感じられる!と思いましたね。生きる力を身につけられるかも・・・とか。笑   ずいぶん長くなりましたが、どうしてビヨンドで活動しようと思ったかは、たくさん前述したけど、結論は自分の思っていることにしっくりきたからです。。。 ブログってこんな感じですかね。よくわかんない。笑 3月から就活解禁らしいけど、わたしはビヨンドで、わたしらしく自分の決めたことややりたいことの実現を目指します! よろしくお願いします!!!  

認識が世界をつくる

今朝方、バスに乗っていて 窓の外に中型の風車を見つけた。 ソーラパネルとのハイブリッドのやつだった。   二度見どころか四度見した。   おそらく室田さんのところに訪れて こうしたことに興味を抱いていなければ 気がつきもしなかっただろう。   しかし、それを見て感動した後 販売していないかをネットで調べていた。   売っていた。値段は数十万。僕でも買える。   ちなみに、設置は自分で行えるようで それもまた最高だと思った。   さて、 思いが世界をつくるという話がある。 それは確かに精神的に体感できる。   しかし、現実としてとらえている空間で そんな時に、たびたび起こっている パターンというのは まず何かしらかの意識をふまえて 自分の認識が、それに関連した事柄を 世界の中に見出し始めるという ごくごく当たり前のことだ。     追記. 室田さんへ ちなみに、銃の購入ができるようになりました。 車の免許が9月には取得できる予定なので そしたら荷物をピックアップしに向かいます!    

待ちながらやってみる

  去年の7月頃に収穫間近のじゃがいもを 猪に全部食べられてしまってから 今年、狩猟を始められるよう 段取りを進めてきた 狩猟を始めるには 割と手間とお金が必要で そのために建築現場とかで数ヶ月働きつつ 免許などの取得をして、今に至る お金もほどほどにたまり ばりばりの肉体労働のおかげで 体つきも一回りでかくなった あとは、銃の所持許可が警察から降りるのを 待つのみなのだが、音沙汰がない この文章を書いているのは1月の31日 明日からもう2月が始まってしまうので 銃による猟は先送りにして とりあえず罠猟などにとりかかるため 東京を離れ山梨の方へ向かうことに決めた そこで 狩猟と合わせて何かもう少し 得るものはないかと考えていたところ ひとつ思い浮かんだ せっかくなら 極力、持ち物や道具を減らしてみたりして 自分にとっての必要最低限や十分さを 体感できるような期間にもしたい かといって制限を設けて 挑戦することが減るのも嫌なので 罠や工具、材料などについては お金をかけるだろうと予定している 現時点で頭で考えてることは以下の通り 罠を仕掛ける 銃で仕留める 槍のようなもので仕留める 獲物をさばく それで料理をつくる 猪の狩猟 鹿の狩猟 猪肉を食べる 鹿肉を食べる 加工場の仮設 事故や大怪我を避ける どのくらい実現できるのかはわからないけど 安全第一でひとつひとつ 取り組んでいければなーと思っている  

タイミング

警察に射撃教習の申請を出して 一ヶ月が過ぎたけれど音沙汰なし   色々な方に協力していただいて お陰様で狩猟ができるまで あと一歩まできたけれど これまでの試験やらなんやらに比べて なぜだか、電話待つだけの そのちょっとした時間が 意外にも長いことを感じる   きっとまた タイミングというのを狙って 物事が進んでいくんだろうけど 一体、今度は何があるのかと なんとなくそわそわしている最近   話は変わって待っている間 わりとバイトをしていたら 知らず知らずに稼ぐ金額が大きくなっていた   畑にいた野菜とかの成長をみているようだと書けば 語弊があるかもしれないけど こつこつ働きかけることで大きくなっていくその様は なんとなくだけど同じ原点があるような気がする              

もうちょっとで狩猟ができる!

7月頃 育てていたじゃがいもたちが イノシシにほとんど食われたことで 狩猟をやってみようと決めてから   9月3日にワナと猟銃による 狩猟免許自体は取得したものの 銃の所持許可が別に警察の管轄で必要だった   しかし、それも昨日 「講習修了証明書」を手に入れてきたので 所持許可がおりるまであと一歩!   ゆっくりとだけど やってみようと思ったことが 進んでいく感覚は やっぱりいいものだなと 最近思っている。  

竹材、停電、仙人

ここ一週間以上、滞在中の古民家の電気が止まっている。 (未だいつ復旧するのかは不明) なので、むろたさんの家でパソコンを 充電させてもらってこの記事を書いている。 今朝の作業中に気がついたことがひとつと 停電の間に思ったことがいくつかあるので それを書いてみたいと思う。 今朝は割竹を編み込んだり、竹小屋をつくったりと 竹の加工とかをしていた。 竹林から竹材を切り出してきて これはなかなかいい竹だなーと思ったやつは 大事に活用しようとして すぐには使わずに大切にとっておくことがある。 けど、そうしてとっておいた竹を使おうかなと ふと見てみると、蟻にくわれていたりと悪くなっていることがあった。 逆に、加工に失敗したりして 当初の目的通りにはうまく使えないなーと思ったやつは 以外とすぐに別の役割を担ってくれたり たとえば、たき火とかの薪代わりになったりする。 そういうできそこないみたいなのは 悪く言えば雑に扱われているけど 逆に考えれば、大切にとっておいて蟻にくわれてしまったやつより 断然いろんな役に立っているといえる。 そんなことを考えてると こういうことって他の場面でもあてはまるなーと気がついた。 竹材がそうなら木材はそのまんまそうだし 人材や子供だって同じことが言えるかもしれない。 時間の使い方だって、たぶんわりと同じなんじゃないかと思う。 たとえば、久々の休みの日がきたときに せっかくのお休みなんだから何か特別なことを、、、とか あれもいいな、これもいいな、、、とか たまっていた仕事をこの日のうちに片付けられるな、、、とか なんて考えていたら、気がつくとだらだら過ごしているようなことって 自分は何度か経験した覚えがある。 もっと拡大して考えてみると たぶん人生全体でも同じことが言えるんじゃないかなと気がついた。 何か特別なことを、、、とか もっと優れたことを、、、とか そのためにはあれもやって、これもやって、、、とか もしそんなことを頭で考えていて 目の前にあるいろんなことを見逃していたとしたら たぶんそっちのほうがもったいないってことに後から気がついて 言いようのない寂寥感がやってきたとしてもおかしくないなあと 竹をいじりながらぼんやり考えていた。 それで そしたら蟻にくわれるまでじっと待っている良材よりも 何にでもとりあえず使われてみるような廃材みたいな まるで捨て石みたいな生き方の方が自分には合ってんだろうなと あんま共感は得にくいかもしれないけど 似たような人がいたら嬉しいなーと思って書いてみた。 (たぶん多くの場合、ほっとくと蟻の役もそれを見ている当人がやってしまうんだと思う。) さて、話は変わって 2週間近く、そして未だに続く停電で思ったことがいくつかあったんだけど ちょっと記事が長くなってきたから、さらっと書いておきたい。 だぶんほとんどの場合において なにかやることがあって忙しいから電気を付けているんじゃなくて 電気が付いてあるから忙しくなっていることがあるんじゃないかと 少なくとも自分自身に対して思った。 試しに、ケータイとパソコンの充電を0にしといて ブレーカを落として3日くらい過ごしてみたら おそらく、かなりこのことにうなずいてもらえる気がする。笑 あとは 電気がないなら自分で発電すればいいやと思って いろいろと考えてみたんだけど 結局、早く寝て早く起きれば 電気がなくともほぼ関係ないことが分かって 日中にいかに活動するか、って方向に考えがシフトしていた。 なんやかんや 自分の電気も水道も金もないけれど いろいろな人たちの支えのおかげで かなり有り難い生活ができている気がする。 (最近ではタケノコ食い放題だし) 自分で記事を書きながらこんなことを言うのも変だけれど 文面だけではたぶんなかなか伝わるのが難しいし おそらくあやしいと思う人にはかなりあやしいんじゃないかと思うので 興味があるって方は来てくれるのが一番だと思う。 ちなみに近々、作ってる竹小屋に数日 仙人やってみたい人でも募集してみたら面白いんじゃない、ってことで募集してます。笑 以上。