竹材、停電、仙人

ここ一週間以上、滞在中の古民家の電気が止まっている。
(未だいつ復旧するのかは不明)
なので、むろたさんの家でパソコンを
充電させてもらってこの記事を書いている。

今朝の作業中に気がついたことがひとつと
停電の間に思ったことがいくつかあるので
それを書いてみたいと思う。

今朝は割竹を編み込んだり、竹小屋をつくったりと
竹の加工とかをしていた。

竹林から竹材を切り出してきて
これはなかなかいい竹だなーと思ったやつは
大事に活用しようとして
すぐには使わずに大切にとっておくことがある。

けど、そうしてとっておいた竹を使おうかなと
ふと見てみると、蟻にくわれていたりと悪くなっていることがあった。

逆に、加工に失敗したりして
当初の目的通りにはうまく使えないなーと思ったやつは
以外とすぐに別の役割を担ってくれたり
たとえば、たき火とかの薪代わりになったりする。

そういうできそこないみたいなのは
悪く言えば雑に扱われているけど
逆に考えれば、大切にとっておいて蟻にくわれてしまったやつより
断然いろんな役に立っているといえる。

そんなことを考えてると
こういうことって他の場面でもあてはまるなーと気がついた。

竹材がそうなら木材はそのまんまそうだし
人材や子供だって同じことが言えるかもしれない。
時間の使い方だって、たぶんわりと同じなんじゃないかと思う。
たとえば、久々の休みの日がきたときに
せっかくのお休みなんだから何か特別なことを、、、とか
あれもいいな、これもいいな、、、とか
たまっていた仕事をこの日のうちに片付けられるな、、、とか
なんて考えていたら、気がつくとだらだら過ごしているようなことって
自分は何度か経験した覚えがある。

もっと拡大して考えてみると
たぶん人生全体でも同じことが言えるんじゃないかなと気がついた。
何か特別なことを、、、とか
もっと優れたことを、、、とか
そのためにはあれもやって、これもやって、、、とか
もしそんなことを頭で考えていて
目の前にあるいろんなことを見逃していたとしたら
たぶんそっちのほうがもったいないってことに後から気がついて
言いようのない寂寥感がやってきたとしてもおかしくないなあと
竹をいじりながらぼんやり考えていた。

それで
そしたら蟻にくわれるまでじっと待っている良材よりも
何にでもとりあえず使われてみるような廃材みたいな
まるで捨て石みたいな生き方の方が自分には合ってんだろうなと
あんま共感は得にくいかもしれないけど
似たような人がいたら嬉しいなーと思って書いてみた。
(たぶん多くの場合、ほっとくと蟻の役もそれを見ている当人がやってしまうんだと思う。)

さて、話は変わって
2週間近く、そして未だに続く停電で思ったことがいくつかあったんだけど
ちょっと記事が長くなってきたから、さらっと書いておきたい。
だぶんほとんどの場合において
なにかやることがあって忙しいから電気を付けているんじゃなくて
電気が付いてあるから忙しくなっていることがあるんじゃないかと
少なくとも自分自身に対して思った。
試しに、ケータイとパソコンの充電を0にしといて
ブレーカを落として3日くらい過ごしてみたら
おそらく、かなりこのことにうなずいてもらえる気がする。笑

あとは
電気がないなら自分で発電すればいいやと思って
いろいろと考えてみたんだけど
結局、早く寝て早く起きれば
電気がなくともほぼ関係ないことが分かって
日中にいかに活動するか、って方向に考えがシフトしていた。

なんやかんや
自分の電気も水道も金もないけれど
いろいろな人たちの支えのおかげで
かなり有り難い生活ができている気がする。
(最近ではタケノコ食い放題だし)

自分で記事を書きながらこんなことを言うのも変だけれど
文面だけではたぶんなかなか伝わるのが難しいし
おそらくあやしいと思う人にはかなりあやしいんじゃないかと思うので
興味があるって方は来てくれるのが一番だと思う。
ちなみに近々、作ってる竹小屋に数日
仙人やってみたい人でも募集してみたら面白いんじゃない、ってことで募集してます。笑

以上。