よく考えたら、深い問い

ビヨンドでの生活も、慣れたようで、まだなんか慣れない。なんか、まだぎこちない。笑

ある日の作業で、室田さんが2年ほど前に研修生だった大学生の男の子の話をしてくれた。幼稚園の頃に、大好きなおばあちゃん?を亡くしたときから、彼は「人は結局死ぬのに、どうして生きているんだろう」っていう問いが生まれたらしい。幼稚園児から哲学的な問いに気づくなんて・・・

その時種まきしてたけど、その話を聞いてから、もう作業どころじゃなかった。「確かに・・・人は最後死んでしまう。わたしはなんでここに”存在”してるんだろう」って頭の中で繰り返されていた。めっちゃ考えたい!!!って。あの時の感覚は今でも覚えてる。

 

 

わたしはどうして生まれたのか?

毎日一生懸命に大切に生きろ、って言うけど何のため?幸せになるため?後悔しないため?

わたしにとって幸せって、ただお日様の下で小鳥のさえずりや、川のせせらぎを聴いて、そよ風を感じられればそれだけで満足なんだけど?

でもそれだけじゃ、ダメみたい。

どうして?

日本国民は、働く義務がある。

なんのために働くの?月々の支払いのため、将来国に面倒を見てもらうための税を納めるため、経済的安定のため?

お金の持つ働きってなんだ?お金はたくさんあればいい?

今ある自分の名声や肩書を外したら、いったい自分に何が残ってるの・・・・?

 

 

と、まあこんな問いがいくつも出てくるわけです。

文字化したくても、できない。頭の中の思考に手が追い付けないというか、考えれば考えるほど、訳が分からない。

ビヨンドに来てなかったら、こんなこと考えてなかったと思う。

カナダに留学した時から、世界一周、帰国後と、たくさん自分と向き合ってきたけど、今私の中で究極な問いが生まれている。

 

“何のためにわたしは生きているのか?”

 

この問いに正解も間違いもないと思うけど、もし自分にスーッと共感・納得できるようなことがあれば、生きることがもっと楽しくなる。

 

そんな気がする。