人は死んだら燃やされる、けれど火を知らない。
田舎暮らしをはじめてから、日常的に火を焚くようになった。



自由に火を焚ける環境があること、それだけでここに移住してきて良かったと思える。
火を見ていると、「わたし」が消える。
火葬と土葬ならどっちがいいかな。
土の中で他の生き物の食べ物なるのも悪くないけど、どちらかというと火葬がいいな。
できれば澄み切った空の下で、容赦なく燃えつきたい。
燃えたら灰になって、風に飛ばされて、
それからは何にでもなれる。
木にも、花にも、鹿にも、鳥にも、人間にも。
「わたし」はあってないようなもの。
私が今までずっと死を怖がっていたのは、火を知らなかったからだと思う。
大好きだったおばあちゃんは、事故で亡くなった。立派な棺桶の中でひとり、真っ暗な火葬場に運ばれてゆき、数時間後には骨になって帰ってきた。
死ぬということは、骨になることだと思っていた。
この身体がどんな風に形を失い、どんなに力強くエネルギーを放つのか、想像もつかなかった。
跡形も無くなったように見えるものすべてが生の連鎖の中で循環しているということを、実感できなかった。
人はいつか死ぬ。
死んだらその肉体は、燃やされる。
なのに多くの人は、火を知らない。
知らなくてもいいと思っている。
知らないものがいちばん怖いのに。
死んだらどうなるのか考える前に、死なないようにすることを考える。
死なないことを考えて、生きていることを忘れる。
「十分に生きるために、死ぬ練習をしているわけですね。」
(『西の魔女が死んだ』- 梨木香歩)
火を見ると、死を思い出す。
火の温かさに触れると、死への恐怖は溶けて心は安らぎに包まれる。
死を心で受け入れて、今日も生きていく。
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